第70回(2022年) 日本エッセイスト・クラブ賞

第70回日本エッセイスト・クラブ賞は5月31日、審査委員会(秋岡伸彦委員長)の最終審査の結果、下記の作品の受賞が決まりました。贈呈式は6月27日、日本記者クラブ内で行われました。1953年創設のクラブ賞は、エッセー、評論などの分野で最も権威のある賞として定着しています。  


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『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』
松本俊彦氏著
みすず書房

 

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松本俊彦氏

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審査報告

賞の歴史の重み
審査委員長 秋岡伸彦

 

 

わがクラブ賞は、記念すべき第70回の節目を迎えました。クラブ発足の翌1952年(昭和27)に賞創設が決まり、その翌年から授賞が行われています。先人、先輩が築いてきた歴史の重みを感じます。

 審査報告をいたします。

 今回は、28名の会員から推薦された36点、出版社29社からの推薦74点、個人応募が8点で、合計118作品の応募がありました。

このうちから、編著、復刻など審査基準から外れた作品を除外したうえ、3月15、16両日の予備審査を経て、対象を67点に絞りました。審査委員11人による3回の審査で、次の6作品が最終候補に残りました。

   山田庄一さん『京なにわ 暮らし歳時記』

   ナガノハルさん『一万年生きた子ども』

   駒井一慶さん『ふぞろいなキューリと地上の卵』

   湯浅誠さん『つながり続ける こども食堂』

   松本俊彦さん『誰がために医師はいる』

   村山恒夫さん『新宿書房往来記』

 

  それぞれ独自の領域あるいは分野で闊達な表現の筆を振るっています。その中でも、松本さんの作品は精神科医療、それも薬物依存症の患者と向き合う自らの日々を描いて、まことに刺激的です。著者もなかなかの個性派らしい。極めて深刻な状況のなかで、ふと漂うユーモアが救いになっています。 

 審査委員多数の支持で、受賞作品に決まりました。おめでとうございます。クラブ賞受賞は毎回2、3人となることが多く、お一人の受賞は4回目です。

 審査の過程で、しばしば起きる「エッセイとは何か」という議論が今回は少なかったのですが、大学で教えていたり、あるいは教壇の経験のある審査委員もおり、「若者の本離れ」を嘆く声が多く出ました。

 70年前、クラブ賞創設を言い出したのは、評論家の大宅壮一だったと伝えられています。その警句「一億総ナントカ」は、テレビの見すぎを憂いたものですが、さて、現状はどうなのでしょうか。

 本の楽しさ、エッセーの醍醐味を広く伝えていくことも、わがクラブの大きな役割、存在意義でしょう。70回目の節目に、そんな思いを深くした審査でした。

 

 審査委員長 秋岡 伸彦
委 員   秋山 秀一  海老沢小百合  高村 壽一  内藤 啓子  中丸 美繪  降幡 賢一  堀尾眞紀子  松本 仁一 よしだみどり  吉野源太郎 
 


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受賞作の紹介

「依存症」アディクション「つながり」コネクション
松本俊彦著『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』
審査委員 内藤啓子 

  著者・松本俊彦氏は精神科の医師、嗜癖障害の臨床研究をされています。耳慣れない医学用語や薬の名前の羅列があるかと構えましたが、読みやすく時にユーモアを交え、心に残る文言の多い、著者の半生を絡めて描いた作品です。アディクションという言葉がしばしば出てきますが、嗜癖障害、依存症という意味で使われています。

 著者は高校時代、加賀乙彦「フランドルの冬」を読み、精神科医という存在を知ります。「医学部ありき、後に精神科を選択」ではなく、「精神科ありき、やむなく医学部進学」をしたそうです。医師となり、不本意ながら依存症の専門病院へと移動します。そこで出会った患者の内、アルコールより薬物の依存症患者に惹かれます。アルコール依存症の場合、壮年期になってからかかる事例が多いが、薬物依存症は比較的若い世代で、いわゆる非行に走り専門病院につながります。若い内から「気分を変える」ものを必要とした背景には、その人の過酷な生育歴が存在することに著者は気付きます。

  若い薬物依存症の患者は、著者の中学の、シンナー中毒だった友人を思い起こさせます。彼はシンナーから覚せい剤依存症になり、若くして事故死します。彼の言葉、「人は裏切るが、クスリは裏切らない」は痛切です。

 ある時患者の一人から自助グループのミーティングに誘われ、「薬をやめるのは簡単だが、難しいのはやめ続けること」と教えられます。医療者は、薬害について説くのではなく、患者が溺れそうになったとき浮き輪を投げて、陸地を示すことが肝要とも悟ります。

 著者自身が依存した、カフェインや喫煙、セガのカーゲームについても書かれています。生き延びるために必要な「不健康なもの」。それは依存症を病気として抱える人だけではなく、大概の人は多かれ少なかれ持っているものかもしれません。

 また、著者がイタリア車を好み、アルファロメオをまるで暴走族の車のように改造する話も面白いです。車の改造に気付くのは周囲の人より依存症の患者たちで、それは何故か。依存症の患者自身が改造を好む人たちだからと著者は言います。ありのままの自分に満足出来ず、何かを付け加えようとすることが病気の本質かもしれず、ピアスを身体のあちこちにつけたりタトゥー(入れ墨)を施したりする。リストカットにも似た「こころの痛み」を紛らわせるための「からだの痛み」を求めているのではないかと。

 本書中、インパクトのある造語が出てきます。「ドリフ外来」と「白衣の売人」。ドリフターズの人気TV番組「8時だョ!全員集合」のラスト、歌の合間に「宿題したか、歯をみがけよ」と短い言葉を挟むのに似て、「飯食っているか、夜眠れているか、また来週」と、患者との話を短く切り上げるというのが「ドリフ外来」だそうです。この「ドリフ外来」という言葉で思い出したことがあります。私ごとですが、父は晩年うつ病になり、入退院を繰り返し亡くなりました。ある病院で、担当医の回診に何度か立ち会いましたが、まさにそれはドリフ回診でした。「いかがですか」と入ってきて生存確認のみで出ていく。その医師も大勢の患者を抱えて忙しく、父の妄想に付き合っているいる暇はなかったのでしょうが、もう少し話をしてくれたら良いのにと思っていました。本書にある「うつ病患者を励ましてはいけない」「安易に自殺念慮について質問してはいけない」「妄想の内容を繰り返し聞いてはいけない」などの「神話」が生きていた時代だったからでしょうか。

 薬物依存症の患者の半分は覚せい剤依存症だが、残りの半分は処方薬のベンゾジアゼピン系(以下ベンゾ)の睡眠薬、抗不安薬などの依存症である事実にも驚きます。良く効く代わりに耐性ができるのも早く、患者は服用する薬の量が増えていく。著者は精神科医療がベンゾ依存症を作り出している事実に警鐘を鳴らす意味で「精神科医は白衣を着た売人」という言葉を使います。しかし、悪いのは薬ではなく使い方なのだとも述べています。

 この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは「良い使い方」と「悪い使い方」だけであること。「悪い使い方」をする人は薬物とは別に何か困りごとや悩みを抱えている。「ダメ、ゼッタイ」の標語のもと犯罪者として社会から葬るのではなく、薬に依存せざるを得ない痛みを抱えた人への支援こそが必要だと力説します。

 「アディクション(依存症)の反対語は、しらふではなく、コネクション(つながり)」という作家ジョハン・ハリの言葉が紹介されています。著者も、孤立している者は依存症になりやすく、依存症になるとますます孤立する、だから、まずはつながることが大切だと書いています。コロナ禍により希薄になりがちですが、今回最終審査に残った他の作品も、「つながり」について考えさせられるものがありました。依存症を理解し共に考える社会への入り口となる本書、あとがきにあるように多くの人に読まれたらと思います。

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受賞の言葉

「ダメ。ゼッタイ。」と排除するのではなく「SOSを出しやすい」社会へ
 松本俊彦

 このたびは、日本エッセイスト・クラブ賞を私に与えてくださり、推薦してくださり、また、審査をしてくださった同クラブの皆様に心より御礼申し上げます。とりわけ、十代から憧れの出版社から著書を刊行させていただいたうえに、今回、このような歴史ある賞をいただけることを本当にうれしく思います。

 今回の本、振り返れば、実にいくつかの奇蹟が重なって実現したものという気がします。これまで私が書いてきた文章と言えば、学術論文であり、精神医学領域の啓発書ばかりでした。そうした仕事の自分なりの総決算のつもりで新書を書き上げ、少し空虚な気持ちになっていました。それは、新書という形式では表現できなかった思いがモヤモヤと残っていたからでした。

 そんなところに、タイミングよく十五年来の知己の編集者、田所さんが声をかけてくれたわけです。過去にも軽くお誘いめいたお言葉をいただいたことがありましたが、その時には、「今の自分では無理」と固辞した経緯があります。ところが、なせか今回はやってみたい気持ちになったのです。エッセイという形式ならば、依存症というもの、あるいは依存症の治療や回復支援というものについて、これまでよりももっと広い層に知っていただけるのではないか、という期待がありました。

 

 意外に知らない方もいるかと思いますが、依存症専門医はセカンドクラスの精神科医と見なされてきました。「どうせ治らない、医者がやるべき仕事は病院に閉じ込めるくらいだ」と見なされてきたせいであるように思います。実際、その通りでした。かつてアルコール依存症患者といえば、無理矢理入院させれば病棟内でいろいろな悪さをしでかし、退院させるとすぐに飲酒してすぐに再入院する、といった具合で、「精神科医療界における嫌われ者」でした。当然、治療といっても病棟に閉じ込めて、患者を物理的にアルコールから遠ざけるくらいしかありませんでした。

 ところが、ある人物の登場によって、わが国のアルコール依存症治療は大転換を迎えます。その人物とは、精神科医にして作家であった、かの「なだいなだ」先生でした。なだ先生はそのやり方を百八十度変えました。もう強制的な入院をやめ、すべて自発的入院、開放病棟、それから病棟の運営は患者自治会に任せたのです。また、早くから断酒会などの当事者による自助グループとも連携してきました。当時としても人権に配慮した、当事者の回復力を信じた斬新な医療法でした。1960年代半ばの話です。このやり方は、アルコール依存症患者の治療を大きく変え、今日まで受け継がれています。

 しかし一方の薬物依存症に関しては、治療は遅れたまま、入院病棟は完全に「代替刑務所」のような役割を果たしていました。当然、薬物依存症の治療を専門とする精神科医は、セカンドクラスの精神科医である依存症専門医の中で、さらに差別される立場であった気がします。

 実際、差別されても仕方のない治療でした。私が不本意にも依存症専門病院に赴任した二十五年前、日本国内で薬物依存症の治療をする病院は、五箇所くらいしかありませんでした。その五箇所の病院にしても、入院治療は刑務所がモデルでしたし、通院治療に至っては、毎回の受診時に尿検査を実施し、薬物反応が陽性になったら、患者に警察への自主を勧めるという、いま考えてもとんでもない治療が常態化していました。

 こうした理不尽な治療が、誰からの批判も受けることなく許容されていたのは、ある神話というか迷信が多くの人に信じられてきたからです。つまり、薬物依存症の治療はむずかしく、それはアルコール依存症の比ではない、なぜなら、薬物の恐ろしさはアルコールの比ではないから……という神話です。

 しかし、かねてより私は疑問に感じていました。薬物依存症の治療ってそんなにむずかしいだろうか、と。実際のところ、私にはむずかしいとは思えなかったのです。いや、これは正しくないかもしれません。確かに治療がむずかしい方は少なくないのですが、それは依存症そのものの深刻さのせいではなく、依存症以外の問題のせいであるように思えたのです。

 依存症以外の問題とは、法律という自分が所属するコミュニティのルールを軽視せざるを得ないほど、深くコミュニティに絶望している、という事情を意味します。その背景には、様々なトラウマティックな体験や、人生早期から抱えているメンタルヘルスの問題に起因する「生きづらさ」があり、そのせいで身近な人との関係性につまずき、傷つき、人を信じられなくなっているのです。結局のところ、ある人にとっての「コミュニティ」とは、抽象的な概念なんかじゃなく、それまで出会ってきた身近な人総体、ないしはその連続線上にしか想像できないものです。

 こう言い換えてもよいでしょう。もしもその人がコミュニティのルールを軽視しているとするならば、それはその人がそれまで多くの身近な人間から尊重されてこなかったことを意味します。ですから、もしも薬物依存症の治療がむずかしいとすれば、それは薬物という化学物質の薬理作用の恐ろしさではなく、人間に対する絶望の深さ、人間不信の深刻さによるものです。

 

 薬物依存症の原因は薬物にはありません。なぜなら、薬物を使用した経験のある人が全員、依存症になるわけではないからです。事実、国連の報告書によれば、ヘロイン、コカイン、覚醒剤といった薬物の使用経験者のうち、依存症になるのは一割程度、つまり、薬物使用=薬物依存症ではないのです。

 薬物の怖さを証明するために、かつてよく行われた実験があります。ネズミを一匹だけ檻のなかに閉じ込め、ネズミの頸静脈に点滴の針を刺す。そして、ネズミがレバーを押すと、点滴のボトルから依存性薬物がネズミの血管内に投与される、という装置を用いた実験です。すると、ネズミは日がな一日レバーを押し続け――つまり、薬物依存症に陥り――、最後は死んでしまいます。確かにこの実験は、薬物の怖さを示しているように思うでしょう。

 しかし、ネズミが依存症に陥ったのは、薬物のせいではなく、「檻のなかの孤独」のせいなのです。実際、ネズミを仲間たちと一緒に十数匹で過ごせる快適な環境に置くと、薬物に見向きもせずに、仲間たちとじゃれ合ったり交尾したりすることがわかっています。

 人間も同じです。実際、歴史的にも、あるいは、現在の世界中を見わたしてみても、薬物問題が深刻な地域は、貧困や経済格差、差別や理不尽な暴力が横行し、生きづらさが蔓延して自殺が多いところです。

 意外に誰も指摘していませんが、わが国において、戦後三回あった自殺急増のピーク――昭和二十年代後半から三十年代前半、昭和五十年代後半、平成十年前後――は、やはり戦後三回あった覚醒剤乱用期のピークと見事に重なります。

 今日、米国で問題になっているオピオイド(医療用麻薬)・クライシスもそうです。実は、オピオイド乱用は、米国中西部のラストベルトという工業地帯の中年男性たちに端を発しています。安い人件費を武器とした中国の工業力向上が、米国の対中国貿易赤字を増大させ、このラストベルトの工場を次々に閉鎖へと追いやりました。そして、職を失い、経済的に追い詰められた中年男性たちの自殺が増加するとともに、オピオイドの乱用も一気に広がっていったのです。

 アメリカ先住民のアルコール依存症問題でもそうです。ヨーロッパから新大陸にやって来た白人たちは、先住民を迫害し、彼らが長く居住していた広大な土地を侵略しました。その代わり、先住民たちをきわめて小さな保護区へと移住させ、強制的な同化政策によって彼らの文化や経済的基盤を破壊しました。さらに先住民の子どもたちを白人文化と同化させるため、親から引き離して寄宿学校に閉じ込め、母語を話すことを禁じました。数年後、学校を卒業して帰郷した子どもたちは、故郷の生活に不適応となり、保護外の街では白人から差別され、二重の意味でコミュニティを失いました。彼らは、白人たちが持ち込んだウィスキーを呷って日々を過ごすなかで、保護区内のアルコール依存症が深刻な社会問題となったのです。

 先住民における高いアルコール依存症罹患率は、決して彼らの先天的素因のよるものではありませんでした。というのも、先住民のアルコール依存症予防対策に関して興味深い事実があるからです。禁酒令を出した保護区では、アルコール依存症に罹患する先住民はいなかったものの、アルコール依存症に付随して頻発する児童虐待や夫婦間暴力、様々な暴力犯罪が多発したそうです。一方、禁酒令はとらない代わりに、同化政策はとらずに先住民の伝統や信仰を尊重した保護区では、人々のアルコール依存症の罹患率は白人社会におけるそれとさして変わらなかったそうです。このことは、アルコール依存症、あるいは、アルコールに関連して発生する様々な社会的問題は、単にアルコールという化学物質だけが原因ではない、という可能性を示唆しています。

 私が著書を通じて多くの人に知っていただきたかったのは、まさにそういうことなのです。

 

  ところで、三年という長い連載期間のなかで、私自身、ずいぶん変化しましたし、社会も大きく動きました。何より一番の変化は、連載期間の後半よりコロナ禍に突入したことです。

 それまで診療のない日は連日のように国内各地を講演して廻っていたのですが、講演のスケジュールがことごとくキャンセルとなり、私自身、生活が一変しました。突然、どっと増えた暇な時間をどう使ってよいかわからなくなった私は、唐突に感染症の勉強を始めました。といっても、決して感染症の診断や治療の勉強ではなく、人類の感染症との戦いの歴史を学び直すべく、あれこれ本をむさぼり読みました。

 そのなかで気づいたことがあります。それは、薬物問題と感染症問題には似ている点、共通点が多いということです。  ここでは共通点を三つあげておきたいと思います。一つ目は、いずれも世界のグローバル化、もっといえば、人と人との邂逅、異文化との遭遇と密接に関係している、ということです。大航海時代、ヨーロッパの人々は、新大陸から梅毒と引き換えにタバコとカカオ、コカインを手に入れ、新大陸の先住民族たちは、天然痘に感染して大打撃を受ける一方で、ウィスキーという高濃度のアルコール飲料を手に入れたわけです。人が人である以上、あるいは、人類がたえず異文化と出会いながら前に進んできたことを思えば、薬物にせよ、感染症にせよ、私たちの社会にとって避けがたい問題であるといわざるを得ません。

 二つ目は、いずれも行き過ぎた予防啓発が差別や偏見の温床になる、ということです。かつて無らい県運動がハンセン病に罹患した人たちに理不尽な隔離と排除をもたらしたのと同じように、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」のキャッチコピー、あるいは、「ダメ。ゼッタイ。」運動によって、薬物使用者たちはあたかも殺人鬼のごときイメージを押しつけられ、恐れられてきました。その結果、薬物使用者たちは、保険・医療・福祉サービスから疎外されるばかりか、忌み嫌われて孤立を余儀なくされてきたわけです。

 そして最後に、「敵対的」な対策を徹底させれば戦いは泥沼化するだけであり、長期的には「友好的」な対策こそ望ましいということです。ペニシリンの発見、それに続く各種抗生物質の発明は人類を感染症との戦いから解放するという希望を持たせましたが、最終的には新たに耐性菌を次々に作り出す結果となりました。あるいは、1980年の世界保健機関による天然痘撲滅宣言の後も、人類は感染症との戦いに苦慮してきました。HIV然り、エボラ出血熱然り、そして現在はコロナです。

 薬物も同じです。ヨーロッパでは、アヘン吸煙を禁止したらモルヒネの静脈注射が流行し、モルヒネを規制したらヘロインの乱用が広がりました。さらに北米では、ヘロインを厳しく規制したら、ヘロインの何十倍も強力な医療用麻薬で多くの人々が命を落としています。日本でも同様です。大麻を規制すれば、脱法ハーブなどの危険ドラッグが広がり、規制を強化すればするほど、新たに登場する脱法的なドラッグはますます危険なものへと変化しました。最終的に危険ドラッグ乱用が鎮静化した現在、わが国の若者はドラッグストアで簡単に購入できる市販薬のオーバードーズによって自らの健康を害し、あるいは、命を落としています。

 むしろ人間が人間として生きていく以上、薬物にはまる人は存在する。大切なのは、「薬物撲滅」と敵対的姿勢をとるのではなく、薬物依存症になったときに、気軽に、そして安心してSOSを出せる社会を作ることではないでしょうか? つまり、「ウィズ・コロナ」にちなんでいえば、「ウィズ・ドラッグ」です。

 

 話が長くなりました。

 実は毎年六月二十日からの一ヶ月間は、薬物乱用撲滅月間、つまり、「ダメ。ゼッタイ。」強化月間で、今日はまさにその月間の真っ只中ということになります。

 

 「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチコピーは、人々を思考停止に追いやり、問題を抱えた当事者を阻害する言葉だと思います。かつて性教育が「セックス、ダメ。ゼッタイ。」という方針で展開されていた頃、望まない妊娠をした十代の少女は、しばしば誰にも相談できないまま自らの命を断とうとしたものです。そして今日、薬物の問題を抱えた人が、まさに同じ状況に置かれているのです。

 私は、本書を通じて少しでも多くの方が、単なる「ダメ。ゼッタイ。」という思考停止から脱出することを願っています。

 最後にもう一度、このたびはすばらしい賞を与えてくださり、本当にどうもありがとうございます。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

まつもと としひこ

 1967年生まれ。精神科医、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長。1993年佐賀医科大学卒。

「横浜市立大学病院にて初期臨床研修の後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科を経て、2004年に国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部室長に就任。その後、同研究所自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年より現職。著書に『自傷行為の理解と援助』(日本評論社2009)『自分を傷つけずにはいられない』(講談社2015)『もしも「死にたい」と言われたら』(中外医学社2015)『薬物依存症』(ちくま新書2018)他多数。