ノーベル賞の大村智博士が日本エッセイスト・クラブ会長に就任!
寄生虫感染の特効薬「イベルメクチン」の開発で2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智会員(北里大学特別栄誉教授)が、6月26日、日本エッセイスト・クラブの第7代会長に選出されました。1951年のクラブ創立以来、マスコミ関係以外からの会長は初めてで、「中谷宇吉郎博士や寺田寅彦博士といった科学者が素晴らしいエッセイを残したように、私も科学者としてエッセイストとしてクラブの発展に貢献したい」と抱負を語っています。
第71回日本エッセイスト・クラブ賞
第71回日本エッセイスト・クラブ賞は2023年5月30日、109作の推薦・応募作品の中から、審査委員会(秋岡伸彦委員長)の最終審査の結果、下記の2作品の受賞が決まりました。贈呈式は6月26日、東京・内幸町の日本記者クラブ会見場で行われました。贈呈式は、審査委員長の審査報告。続いて、海老沢小百合審査委員、松本仁一審査委員がそれぞれ受賞作品を紹介、その後、受賞者の伊澤氏が海外からオンラインで、吉原氏が壇上で受賞の喜びを語りました。これで1953年の第1回から第71回までの受賞者は194人となりました。クラブ賞は、エッセー、評論などの分野で最も権威のある賞として定着しています。
伊澤理江氏著
『黒い海 船は突然、深海へ消えた』
講談社
吉原真里氏著
『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』
アルテスパブリッシング
特別寄稿 パンデミックの時代に③ 2022年12月
コロナ感染者が日本で初めて確認されたのは2020年1月。3年に及ぶパンデミックは、出口が見えそうでいながら、なお定かでありません。昨年秋に続き、会員5氏にエッセイを寄せていただきました。
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「コロナ・母・現在」・・・・・・・・・・・・・ ・吉行 和子 (女優・エッセイスト・俳人)
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「にっくきコロナに教えられ」・・・・・・・・・・ 山川 静夫(芸能評論家・元NHKアナウンサー)
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「今の私にとって、これって差別?仕方がない?」・・ 樋口 恵子(評論家・東京家政大学名誉教授)
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「バトンのゾーン」・・・・・・・・ ・・・・・・・並木 きょう子 (フリーライター)
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「天災は忘れなくてもやってくる」・・・・・・・・ 鵜飼 哲夫(読売新聞編集委員)
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特別寄稿 パンデミックの時代に② 2021年10月
5月に掲載した「特別寄稿 パンデミックの時代に」に続き、会員による寄稿5編をお届けします。コロナ禍の日々、上質な文章で、ひととき、心を解きほぐしていただければと思います。
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「高齢者の自覚」・・・・・・・・・・・・・ 岸 惠子 (女優・作家)
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「もうひとつの『ご成婚秘話』を追って」・・ 岩瀬 達哉(ジャーナリスト)
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「階段落ち」・・・・・・・・・・・・・・・ 内藤 啓子(エッセイスト)
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「東日本大震災からの復活」・・・・・・・・ 畠山 重篤 (漁業者・NPO法人森は海の恋人代表)
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「バナナと革命」・・・・・・・・・・・・・ 梅津 時比古(桐朋学園大学学長・ジャーナリスト)
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特別寄稿 パンデミックの時代に 2021年5月
先が見えにくいまま、容赦なく時間が消えていく。新型コロナウイルスが跳梁するいま、何を考えるか。5人に寄稿してもらった。
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「九〇にして自粛記」・・・・・・・・ 遠藤 利男 (日本エッセイスト・クラブ会長)
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「疫病を生き抜いたヒト族」・・・・・ 森 武生 (がん感染症センター都立駒込病院名誉院長)
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「愚かに勇ましく生きる」・・・・・・ 轡田 隆史(ジャーナリスト・文筆家)
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「ココロを解放する好機!」・・・・・ 森 孝之 (ナチュラリスト・アイトワ主宰)
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「万葉びとを襲った神病(えやみ)」・・ 堀尾 眞紀子 (文化学園大学名誉教授・美術史研究者)
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クラブ会報
クラブ会報を掲載しています。クラブ創設翌年の1952年3月に創刊された会報は以来半世紀余、連綿として会員のエッセーなどを送り出してきました。近年は年3回刊行され、春号は執筆エッセー、秋号はクラブ賞特集号、冬号は会員の応募エッセーです。
日本エッセイスト・クラブの沿革
日本エッセイスト・クラブは、1951年(昭和26年)6月に設立されました。その年秋の講話条約調印、翌年の独立回復をひかえ、新生日本への道をようやく歩みはじめた時代です。
設立趣意書は、一切の政治活動を排した上で、エッセイストの親睦、共通の利益の擁護、言論の自由と権威の主張を唱え、さらに「正しい世論を喚起して日本の文化と平和に貢献する」と謳っています。その一語一語に時代の息吹と強い意気込みを感じます。
当時のジャーナリズムの第一線で活躍する著名な評論家、エッセイストら90人が参加しました。会長に馬場恒吾、理事長に阿部慎之助を選出したほか、理事には大宅壮一、小汀利得、河盛好蔵、中山伊知郎、笠信太郎らが名を連ねました。
その伝統を引き継いで、設立から60数年の歴史を積み増した。エッセイを随想、評論、ノンフィクションなどと幅広く捉えて、会員はジャーナリスト、評論家、研究者など多岐にわたります。2011年には一般社団法人に衣替え、新たに定款(規約)を定めておりますが、目的や運営方法などの骨格は従来の趣旨を踏襲しています。
活字文化衰退が危惧されている今、当クラブの存在意義は極めて高いものと自負しており、なお一層の社会貢献をめざしています。(敬称略)
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辰野隆が名付け親
クラブ設立にあたって。名称を「評論家協会」「随筆家クラブ」などとする案もでたようですが、「エッセイスト・クラブ」の名を提案したのは仏文学者辰野隆でした。それではエッセイとは何かと、実はクラブ発足後もだいぶ議論になったようです。翌年創設されたクラブ賞の提案者は大宅壮一でした。「長い人生経験に基づいて、いきり立つ事なく、落ち着いてゆっくりした気持ちでなければ書けない」と、大宅はエッセイの一面を記しています。
クラブ賞の歴史
「新鋭なる評論家、エッセイストが一人でも多く出現、自己の正しい自覚において新鮮なる活躍を」――。そう趣旨を唱えて、日本エッセイスト・クラブ賞が制定されたのは、クラブ創立の翌1952年のことです。
小説や詩歌などの分野では各種の顕彰制度が整っていましたが、評論・エッセイの領域では初めての試みでした。ただし、「受賞の対象となるエッセイは、その範疇がひろく、かつ甚だ莫としている」と、初回の審査で理事長の阿部自身が述懐(会報4号)したように、選考はかなり難航したようです。
その結果、受賞対象はいわゆるエッセイストの範囲を超えて、政治や法律の専門家、あるいは理系の学者、技術者なそ幅広い分野の人々に及んで、それがこの賞の大きな特色になっていきます。
そんな中、第2回(54年)の秋山ちえ子さんの受賞が大いに異彩を放ちました。まだ30歳代。ラジオ放送による話題提供が高く評価されたもので、その「声のエッセイ」は長く人々を魅了することになります。
社会に定着しつつあったクラブ賞が一段と耳目を集めたのは、第11回(63年)のシャンソン歌手石井好子さんの受賞でした。京都のリサイタルと重なって本人が欠席しての授賞式に、政界の実力者である父親の光次郎氏が代理出席したことも、ほほえましい話題となりました。
受賞対象が幅広い分野に及んだ一例として、映画・演劇など芸能分野の人々の文章が多く顕彰されたことが挙げられます。第24回(76年)高峰秀子さん、第25回(77年)沢村貞子さんをはじめとして、以下、受賞した女優陣は吉行和子、渡辺美佐子、岸惠子、岸田今日子さんと続きます。
もとより、エッセイはそれほど派手な存在ではありません。むしろ、地味な、しかし珠玉のような文章作品に、クラブ賞は光を当て続けてきました。かくて、2022年までで、70回を数え、受賞者は192人となっています。
入会案内
正会員になるには、会員2名以上の推薦を得て、理事会の承認を求めることが定款で定められています。ただし、現在は会員1名の推薦でも審査対象としています。理事会で理事1名の推薦を加える形をとることによって、要件は満たされるからです。著書や新聞、雑誌などでのお仕事を参考に、クラブの趣旨に則して審査します。